若き日の記憶

新国立劇場小劇場公演『マリアの首』を観劇。すっかり忘れていた上京1年目の自分が蘇って来ました。私は、劇団の研究生の中では若い方で、二十代半ばの仲間も何人かいたようです。全く芝居が初めてという人はほとんどいなくて、私のように高校時代演劇部だったり、児童劇団出身者、大学で演劇をやっていた人もいたようです。だからある程度実力があったのでしょう。だから卒業公演に、この難しい芝居が選ばれたのかも知れません。しかしそうだとしても、戦後生まれの私たちが内容を理解するのは、現代より難しかったのでは、と思えます。今よりある面平和な時代だったようですから。演出家の先生たちは相当苦労したでしょう。発音指導の先生に、被曝者の方がいらっしゃいました。結構年配の方でしたが、常に死と隣り合わせのような事をおっしゃってましたね。当時の私たち、戦争を知らない子供たちは、果たしてどれだけ、あの『マリアの首』の深いドラマ世界を理解したのか疑問です。それでも共に創り上げて行った経験は、貴重な宝物。そして輝かしい青春の思い出となりました。仲間の顔が浮かびました。すっかり忘れていた若き日の彼等が、今回の芝居観劇で眼前に見えて来ました。嬉しかったです。付き合いのあるのは、逢う事がまれの一人くらいで、その後の消息は知らない人ばかりです。亡くなった人もいるかも知れません。それでも次々出て来る楽しかった記憶、何だかとても有難い気持ちになりました。

いつまでも気持ちは青春の私ですが、若い青々と瑞々しいあの時代は帰らずです。若き日の辛い思い出はありますが、やっぱりそれも含めて青春は美しい、と私は思います。